公演履歴

横濱展覧朗読コンサート

横浜の歴史絵巻を、朗読・映像・音楽・歌で表現した作品で、2008年から10年間続けて上演しておりました。 現在は、コロナ禍のため、お休みしておりいます。 内容は次のような展開になっています。 三代将軍家光の時、江戸商人、材木商でもあった吉田勘兵衛が横浜の砂州で洲乾の湾(当時、横浜の内陸に入込瓢箪の形の浅瀬としてあった湾)に出会い、この広大な湾を埋め立てようと考え、幕府に申請し、埋め立てが始まります。 物語はここから動き始めます。そしてそれから、およそ、200年後、横浜港に黒船の来航、そして日米和親条約などを経て、横浜港が開港、村民300人の半農半漁の横浜村に居留地ができ、横濱は急激に姿を変えて行きます。 ここでは 、アメリカと日本の交渉の過程が語られ、庶民の目線からの驚きなどもhyぷ減されます。 居留地があるということで、横浜は、蒸気機関車、ビール、アイスクリーム、クリーニング、日刊新聞発行、などが初めて出来たものが多くみられます。 そして、幕府が倒れ、明治維新を迎え、外国に追いつけ追い越せの中で中央主権化され、日露戦争、日清戦争へ、そして、関東大震災で甚大な被害を受けます。 震源地が相模湾沖という近かったこともあり、横浜市は焼失6万戸、全半壊は2万戸前後で2割足らずの家しか残らず、横浜の死者は2万3千人ほどであるが、甚大な被害を受けます。以後、混乱の中、目は外国に向けられ、やがて、侵略と言う誤った道を歩くことになります。 その結果、太平洋戦争に突入、やってはいけない戦争に突入することになり、国民は、言葉には尽くせない苦しみを味わうことになります。横浜も昭和20年(1945年)5月29日の昼間に爆撃機、B29によって焼夷弾投下で8千人~1万の市民の犠牲者が出ました。 また、戦争末期、唯一の内陸線出会った沖縄での戦いでは、民間人、相手国も含め20万人の犠牲者が出たと言われている。 1945年8月6日、広島、8月9日、長崎への原爆投下の夜犠牲があって、初めて、戦争が終わりを告げます。 戦後、多くの人、財産を失った国を、勤勉な国民性が国を立ち直らせていきます。これは、黙々と働く国民の汗と労働によってなされたものです。 横浜も確かに町が整備され多くの近代的な建物が建てられ街の姿が変わってきました。そのなかで、置き去りにされてきたものにも目を向けたいと思っています。 今後について・・・ 今後も、たくさんの映像を入れ、音楽もあり、歌ありの楽しい展開で、YouTubeなどで配信していきたいと思っています。